『あははーっ、お久し振りです、祐一さん』
「あれっ、佐祐理さゆりさん!? 草加くさかさんは?」
『草加さんは今、壇ノ浦で神器の捜索中です』
「神器の捜索か。草加さん自らが同行したんですね。でも本当に見つけられるんでしょうか?」
『あははーっ、ご心配には及びませんよ祐一さん。最新鋭の原潜シーバットと海江田かいえだ艦長の腕を信じましょう』
「はい。それよりも佐祐理さん、実は……」
『……。そうでしたか。人間に戻られたんですね……』
「はい。名前は霧島八雲」
『分かりました。草加さんはいらっしゃいませんが、わたくしの方で処理しましょう。それと、念の為に監視の人を送っておきますね〜〜』
「えっ、それは真琴がいるからいいのでは?」
『いえ、丁度いい機会ですから、あの方に任せることにします。そう――あの人を本来いるべき場所へ……』


第拾弐話「父親といふもの」

「よし!そこだ!!」
「甘い甘い甘い甘い甘い甘い! 世界ザ・ワールド!!」
「ぬおっ、動くことが出来ぬだと!!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄〜!! そして時は動き出す……」
「ちいい〜〜。また私の負けかっ!」
 あれから一日が経過した火曜日の昼下がり。私は人間へと戻った八雲と『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画を元にしたゲームで対戦していた。どちらもこのゲームをやるのは初めてなのだが、何故か私は勝つことが出来なかった。
「ええい! 八雲、何故お前はこうまで強いのだ!」
 私は手に持ったコントローラーを叩き付ける勢いで、八雲に向かって叫んだ。勝てぬ理由を聞かなくては癪に障り、腹の虫が収まらない。
「へっへ〜、これでもお姉ちゃんがゲームで遊んでた時は、テレビの前に噛り付いてたんだよ!」
「貴様っ、自分も初めてと言っておきながら!」
 ポカッ!
 子供に舐められてとあっては己の尊厳が傷付くので、私は八雲の頭を軽く殴った。
「いって〜。よくも殴ったなぁ〜。ピンポイントバリアパ〜ンチ!!」
「ぬおっ!」
 ”力”によって腕力が増加された八雲のパンチを鳩尾みぞおちに思いっきり喰らい、私は痛みに堪え切れず腹部を手で押さえながらその場に膝を付く格好で倒れ込んだ。
 傷は”力”で治せるものの瞬間的な痛みは治しようがないので、正直急所に直撃を喰らうのは辛いものがある。
「ちいっ、ガキだと思って甘く見ていたが、もう手加減はせんぞ!」
「何を! こっちだって次は本気で攻撃するぞ!」
「はいはい、喧嘩はそこまでね。お昼ご飯持って来たわよ」
 八雲といがみ合っていると、タイミング良く昼食を抱えた真琴嬢が部屋の中へ入って来た。
「わ〜い! ご飯だ〜」
 すると八雲は急に敵意をなくし、待ってましたとばかりに八雲が昼食にかぶり付いたのだった。
「やれやれ、本当にガキだな」
「あら、そのガキ相手に本気でいがみ合ってた貴方に言えた口かしら?」
「くっ……」
 真琴嬢の指摘は図星を突いており、私に反論の余地はなかった。しかしながら、これでは八雲が狐だった頃と関係があまり変わっていない気がする。犬猿の仲というものなのだろうか?
「さっ、私達も食べましょ」
「ああ」



「ごちそうさまっ。お腹いっぱいだしお姉ちゃんの部屋で昼寝して来よ〜っと」
 八雲は昼食を取り終えると、真っ先に佳乃嬢の部屋へ向かって行った。
 現在の霧島家には空いている部屋がないらしく、狐の時のように居間で寝させるわけにもいかない。かといって私と共に寝ると喧嘩が絶えないであろうから、それも得策ではない。そういった理由から、八雲は寝室を佳乃嬢と共有することとなった。
 しかし年端15、6の少女と同じ部屋で寝られるとは、子供という身分は何とも羨ましいものである。
「しかし河童の正体が奇形児だったとはな……」
 佳乃嬢の部屋に向かう八雲の姿と見送りながら、私はあの日の晩のことを思い起こした。”ロコン”と同化する前の”八雲”は、生まれた時人間の形をしていなかった。つまりそれは奇形児であったということなのだろう。
「ええ。『遠野物語』に河童の子供を産んだっていう記述があるんだけど、それは奇形児を表わしているんじゃないかって説があるわ。例えば河童の皿は先天的に頭の中心に髪の毛が生えない人を指し、魚のような鱗や水掻きは皮膚異常を指す……。
 また、他にもハンセン病患者を指していた可能性もあるわ。つまりは、先天性や細菌により体細胞に異常をきたしていた人間を忌み嫌って”河童”と呼んでいた可能性があるということよ」
 真琴嬢の話を聞き、私はあることを思い出した。三日前、佳乃嬢や美凪嬢等と共にカッパ渕に行った時、美凪嬢が河童に関する自説を展開していた中、佳乃嬢は違う論を持っていながらも、その時は哀しい話だからと話さなかった。
 私が思うに、佳乃嬢は真琴嬢が口にした逸話を知っていたのであろう。そしてその伝承を知っていたからこそ、河童と忌み嫌われていた八雲に同情し、八雲は佳乃嬢に取り憑くことが出来たのであろう。
「そういえば、八雲が人間に戻った行為にはどのような原理が働いているのだ?」
 頭を切り替え、私は真琴嬢に八雲が人間に戻った原理を訊ねた。昨日からずっと気になっていたが、なかなか聞き出すことが叶わず、今日に至った次第である。
「そうね。例えるなら受精ね」
「受精?」
「ええ。受精というのは精子と卵子が結び付くことにより、新たな生命を生み出す一種のプログラミングを発動させる行為よ。それと同じようにある刺激が加えられることにより、狐から人間へと戻るプログラミングが発動するのよ」
 プログラミングと聞くと機械的なイメージがあるが、それが原子の行為によって行われているのであれば、あながち悪い例えではないだろう。
「ではその刺激というのは?」
「早い話、人間に戻りたいって想いよ。それが極限まで高まった時、晴れて元に戻れるのよ。もっとも、本人は元が人間だなんて自覚はないから、実際は人間に”戻りたい”っていうよりは”なりたい”って想いで元に戻るんだけどね」
 つまり、あの時の状況を思い起こせば、劣勢に立たされていたロコンが佳乃嬢を元に戻す為に人間になって互角の力を得たいという感じに想いを高め、人間に戻ったということなのだろうか。
「ちなみに戻る瞬間光って見えたのは、細胞の一つ一つが狐の構造から人間の構造に変わる急激な過程で、その急激さのあまり原子が火花を散らして、その一つ一つが重なったから光っているように見えたのよ」
「ふむ。しかし何故狐なのだ? 人間と姿形が違うし、変身するならば人間に構造が近い猿などの方が適切なのではないか?
 いや、それ以前に何故姿を変える必要があったのだ?」
 続け様に私は真琴嬢に訊ねた。女史の言葉を借りるなら、狐に変身する理由、それ以前に人以外のものに変身するのには、何かしらの真実があるのだろう。
「それに関しては少し話が長くなるわ」
 そう言う真琴嬢の口から出た話は、今から1200年程前の話だった。それは平安京遷都前後に現在の岩手県水沢市を中心に繰り広げられていた、蝦夷と朝廷の攻防に遡るということだった。
 延暦七(788)年から始まった蝦夷と朝廷の攻防は、当初は地の利があった蝦夷側が優勢であったが、延暦十六(797)年に坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命されてからは、徐々に蝦夷側が押されてはじめたという。
 そして迎えた延暦二十一(802)年、未だ決着のつかぬ戦に終止符を打つ為に、蝦夷側の頭領である阿弖流為あてるいが朝廷に降伏を申し入れた。
「その話なら知っている。降伏を申し入れたのはいいが朝廷側の人間に怖れられ、田村麻呂の懇願も叶わずに、阿弖流為が処刑されたという話であろう」
「ええ。それで阿弖流為処刑の報が蝦夷側に伝えられた時、阿弖流為と血の繋がりがある者は抹殺される恐れがあるからと、阿弖流為の子供を狐に変身させて山へ逃げさせたのよ。
 もっとも、時が経ったいつかは人間に戻れるようにと、その時人間に戻るプログラムを施したのよ」
「ふむ。それで変身させたのが狐なのは?」
「それは信仰上の理由からよ。稲荷信仰を見ても分かるように、狐は妖力を秘めている動物として、現代でも怖れ敬われているわ。つまり、変身した阿弖流為の子供が万が一捕まったとしても、相手が狐だったら呪われるのを怖れて殺される可能性が低いからよ」
 ようやく話が繋がってきた。まとめるとこんな感じなのだろう。まずは朝廷から逃れ、身を隠す為の手段として何かの動物変身する必要があった。次に見つかった際にもっとも殺される可能性が低い動物が狐だから、狐に変身したという事なのだろう。
「しかし狐に変身させるとは……。やはり何かしらの力が働いているのか?」
「ええ。人間のDNAの配列を狐の配列に書き換えたのよ」
「待て! DNAの配列を書き換えるだと!? 現代科学でもそのような行為は困難であるのに、今から1200年も前にそのような行為が出来たというのか!?」
 冷静に考えればそれは到底信じられないことである。百歩譲ってDNAというのがその当時に解明されていたとしても、私や真琴嬢の力を引き起こす原理ならともかく、配列を書き換えるなどという事が本当に可能だったのであろうか……?
「ええ。可能だった、、、、、のよ」
だった、、、?つまりは今は出来ぬということか」
「ええ。その力は失われた技術。今の人類、、、、には到底発想し得ない技術……。そしてその名残が私や貴方の力よ」
「……」
 つまり私や真琴嬢の力は、DNAの配列を自由に組変えられる技術の産物だということか。そして今の人類には到底発想し得ないという表現……。それは嘗て今の人類とは発想の違う人類が存在したということなのだろうか……?



「今日の客足はどのようなものであった?」
 昼食を取った後、私は町に繰り出し資金稼ぎに奔走していた。その後博物館が閉館する時間を見計らい、女史の元を訪ねた。
「ん……? ああ、鬼柳君か。客は平日ということもあって数人来た程度だな……」
 私に声を掛けられた女史は、まるで遠い空を眺めながら溜息をついている様で、私が声を掛けてから返事が返って来るまで若干の間があった。
 あの日以来、女史はいつものキリっとした態度を何処かに置き忘れたかの様に、覇気を感じられなかった。
「元気がないようだな。私でよければ相談に乗るが?」
 その姿に堪えかね、私は思い切って声を掛けた。どうも覇気のない女史は女史らしくない。悩みがあるならそれを聞き入れるくらいの覚悟はある。
「そうだな……。なら少し付き合ってくれ」
 そう言い終えると女史はゆっくりと立ち上がり、入り口に閉館の文字が書かれた立て札を置いた後、その足で展示室の方へ向かって行った。
 その後を追うと、女史はカウンターから少し歩いた先の左手側の階段を昇った。その階段をゆっくりと昇ると、大きな三面スクリーンに囲まれた暗い部屋に出た。
「相談というわけではないが、ちょっと見てもらいたいものがあってな……」
 映写機を女史が操り始めると、辺りが暗くなり始め、三面スクリーンに映像が流れ出した。それに合わせ、私はスクリーンの前に並べられている長椅子に越し掛けた。
 流れ出した映像は、方言で昔話調に語られたある姉妹の人形劇だった。
 むかしむかし、この遠野には貧しくも仲の良い姉妹がいた。姉妹は良家の身であったものの、両親を失い次第に貧しくなっていった。
 食糧も尽きかけたある日、姉は妹の空腹を満たそうと山へ入り芋を拾い集めた。芋はなかなか見付からなかったが、辛うじて二人分の芋を見付けることが出来た。家に帰ると姉は早速その芋を焼き、大きい方を妹に分け与えた。
 しかし妹は姉が食べた方が大きい方だと思い、疑心暗鬼に駆り立てられた妹は突然包丁を取り出し、姉へ問い掛けた。姉は再三大きい方を与えたと聞かせたが、妹はそれを聞かず手に持った包丁を姉へ向け、なら腹を裂いて確かめるとその切っ先を姉の腹へと突き立てた。
 妹に刺された姉は、妹に大きい方を上げたのにと何度も何度も叫びながら息絶え、その姿は郭公に変化したという。そして妹が姉の腹を裂き胃を解剖すると、胃の中には姉の言う通り自分が食べたのより小さい芋が入っていた。
 姉の言っていたことが事実であることと、自らの手で姉を殺めてしまったことに、妹は姉さんを殺めてしまったと嗚咽の混じった金切り声で泣き続け、時鳥へと姿を変えてしまったという。
 夕暮になると鳴き声が聞えてくる遠野の郭公と時鳥はその姉妹であると説明付け、物語は終わった。
「……」
 映像を見終わった後、私は暫く声が出なかった。何て哀しい話なのだろう、そしてそれ以上にこの姉妹が霧島姉妹と重なって見えた。
「以前父が土砂崩れに遭い行方不明になった話を語ったな。あの時以来この話が耳から離れなくてな……」
 そして続けざまに語られたのは、霧島姉妹の両親についてだった。女史等の母親はもう十年以上も前に亡くなっており、それからは父親が一人で二人の娘を育てていたという。
「もっとも、幼い佳乃にとっては母の死は堪え難いものだった。だから私が佳乃にとっての母親の役割を担っていた……」
 女史が佳乃を護り通そうと決意したのはその時だという。そしてその女史の姿を見た父親は、よくこの郭公と時鳥の話をするようになったという。それはもし自分がいなくなってもこの昔話にある姉妹のようにならずに、互いに互いを信用して生きて行くようにというメッセージが込められていたのだという。
「その前後から、父は家を空けることが多くなった。その理由はこの間話した月讀命に関しての研究調査だった。当時の私は家族を見離してまで研究調査に没頭していた父が理解出来なかった。
 だが、あのあゆ君の姿を見てその理由がようやく分かったよ……。父は多分私達に母に逢わせたかったんだと思う。月讀命より何より私達を母親に逢わせたかったのだと……」
 そしてあの時女史は父親の気持ちを理解すると共に、父親の捜し求めていたものに辿り着いた。だが、それは同時に女史の目的が達成されたことにも繋がり、だからこそ目的を達成したことによる虚無感が、女史から覇気を奪っていたのだろう。
「いや、その認識は甘いな、聖。私はそんなにできた人間じゃない。私自身が母さんに逢いたかった、ただそれだけだった……」
「その声……!? そ、そんな、まさか……」



 突然聞えて来る男の声。その声に驚き後を振り返ると、何時の間にか4、50の男が壁に寄り掛かっていた。
「まさか、そんな筈はない……。何年も音沙汰がなくて、もう諦めていたというのに……」
 壁に寄り掛かっている男にこの上ない動揺を見せる女史。この女史の動揺と男の言動からは一つの答えしか見出せなかった。
「お……とう……さん……」
 言葉にならない言葉を呟く女史。目の前にいる男は私の予想通り、行方知れずになっていた女史の父親だった。
「サンタクロースの姿を確認しない限りサンタクロースが存在することの証明にはならない。よくそう聞かせていたものだったな……」
「ああ……。だから私は行方不明になったといっても、それで死んだことの証明にはならないと思い続けていた……。だが、何故だ!? 何故生きていたなら今まで何の音沙汰もしなかったんだ!」
 思い出話をする父親に近寄り、女史はその胸倉を思いっきり掴んだ。父親が突然現れたことに困惑気味の女史の掴んだ手は、ふるふると小刻みに震えていた。
「私は文献を読み漁り、研究調査をするしか能のないどうしようもない男だ。お前が頑張っている姿を見ているとどうも居たたまれなくなってな……。
 こんな父親がいなくても私の娘達は立派にやっていける。そう思い始めてからは、こんな私と結婚してくれた母さんにどんな形でも良いから逢いたいと思うようになってな……。
 無論、本来の自分の研究は続けていた。そしてあの嵐の時、調査先である人と出会った。その時その人は自分達に協力して欲しい、私達の行っていることは君が進めていることにも繋がると言われた。
 私はそれは長年追い求めていた月讀の痕跡により近付けることと解釈し、その人達に協力することにした。その前後調査先で偶然にも落盤事故が起きた。私はこれは契機だと思い、その人に頼み、私はその事故により行方不明になったということにしてもらった……」
「……」
 申し訳なさそうに淡々と語る父親の胸倉を掴んだまま、女史は暫く沈黙を続けた。
「つまり行方不明と見せ掛けて研究を続けていたということか……。じゃあこの数年間の私の研究は何だんだったんだ!? 父さんの遣り残したもの、辿り着きたかったものをひたすら追い求めていた私の苦労はすべて徒労だったのか!?」
 そしてそれが終わった瞬間、まるで咳を切ったかの様に女史は、感情的に語り出したのだった。
「それは済まないと思っている。お前が私の研究を続けていたと知った時、正直困惑した。
 だが、逆に問いたい。聖、お前は何故私の研究を追い求め続けた? お前達を顧みずにただ自分の求めたいものを求め続けていた私の研究など、お前にとっては寧ろ憎むべきものだった筈だ」
「ああ、憎かったさ! 何でそんな研究が私達より大切か理解出来なかった! だから理解しようとした……。父さんが何を考え、何を求めていたかを……。
 だってそうでもしなければ、お父さんを肌で感じることが出来なかったから……」
 そう言い切ると、女史は再び押し切った様な沈黙を続けた。だが、その胸の内は今にでも溜め込んでいた感情が爆発し出すかの様であった。
「聖、済まなかった。本当はもう少し早く戻ることが出来たんだ……。だが、怖くて戻れなかった。こんな父親を今更迎え入れてくれるのだろうかと…」
「迎え入れる……? 何を言ってるんだ! 私にとって父さんは父さんなんだ……!! 迎え入れるも何もない、ただ側にいてくれるだけでいいんだ……」
「聖……」
「お父さん、お父さんっ……」
 優しく抱き締めてきた父親の胸元で、女史は感情の全てを吐き出し涙声で子供の様に泣いた。
 いや、子供なのだ――。女史の父親が何処までいっても二人の姉妹の父親であるように、何処までいっても女史はこの父親の子供なのだ……。



「佳乃嬢。一人でここまで来たのか?」
 暫くは親子二人だけにしておこうと思い下に降りると、そこには学校帰りの佳乃嬢がいた。
「うん。いつもはお姉ちゃんに学校まで迎えに来てもらっていたけど、あたしも”お姉ちゃん”になったからには少し自立しなきゃなあって思って。だからこれからは一人で帰ることにしようと思ったんだよ。  でも家まで帰っちゃったら、お姉ちゃん、あたしが一人で帰ったことを知らないで捜し回るだろうから、今日は家じゃなくここまで歩いてくることにしたんだ」
 八雲という新しい家族ができたこと。自分より年下の家族ができたという事実は、佳乃嬢の自立心に少なからず刺激を与えたようだ。
「そういえば佳乃嬢、君の父親が……」
「うん、分かってるよ……。ここに来てもお姉ちゃんの姿が見えなかったから、何処に行ったんだろって捜してたら、上の展示室にお父さんがいたのを……」
「ならば何故父親の元へ行かぬのだ?」
 そう言う佳乃嬢の姿に私は疑問を抱いた。自分の父親が帰って来たのだ、女史のように今すぐにでもその胸元に飛び込みたい筈。何故ここにこうして一人でいるのだと。
「うん……。あたしもお父さんが戻って来たのはすごく嬉しいけど、でもあたし以上にお姉ちゃんがお父さんの帰りを待っていた筈だから……。
 それにあたしにはお父さんが家に戻らずに研究調査に奔走してたのを、お姉ちゃんよりも先に理解していたから……」
「理解していた?」
「うん……。だってお父さんがいなくなった後のお姉ちゃんは、お母さんが死んだ後のお父さんと同じだったから。
 その時のお姉ちゃんの姿を見て分かったんだ。お姉ちゃんが自分にとって大切なお父さんを追い求めてるように、お父さんもまた、自分にとって大切なお母さんを追い求めてたんだろうなあって……」
 女史のように父親の研究を追い求めなかった佳乃嬢、そんな彼女の視点だったからこそ客観的に姉と父親の背中を比べられ、女史よりも早い段階で父親の気持ちを理解出来たのだろう。
「本当に、本当に良かったよぅ……。だってあたしにはずっとお姉ちゃんがいたから……。哀しいことや辛いことがあっても、その時はお姉ちゃんに甘えられたから……。
 でもお姉ちゃんには甘えられる人がいなかった。あたしのように哀しいことや辛いことがあっても、それをぶつけられる人がいなかった……。だから、だからお父さんが戻って来て本当に良かったよぅ……」
 両手で涙を拭うような形で泣き続ける佳乃嬢。それはあの郭公と時鳥の話とは違い、姉妹同士が互いに互いを信頼し合っていた何よりの証拠なのだろう。
「だがな、佳乃嬢。君にとってもあの人が自分の父親であることには変わりがない……。例え自分が姉より父親を求めていなかったとしても、その父の元へ駆け付ける権利はある筈だぞ?」
「うん、そうだね……。お帰りなさい、お父さん……」
 素直な自分の気持ちを認めて、佳乃嬢もまた、父親の元へ駆けついだ。
 その姿を見送り、私は博物館の外に出た。外は久々に雲のない青空であリ、その直に黄昏を迎える青空を見て思った。
 八雲が加わり、そして父親が帰って来た霧島家。人の温かみを教えてくれたこの家から、そろそろ私は出て行かなくてはならないのだと。
 だが、同時にその温かみをもう少し感じていたいという気持ちも、私の心の中に、確かに存在している。
(そうだな、もう暫くこの遠野に留まるか。せめて梅雨が明け夏が到来するその日まで……)



「申し訳ございません、このような夜分にお伺いして」
「いえいえ、構いませんよ。あの草加殿の代行で来たのなら、相当な事情があるのでしょう」
「ええ。実は遠野一佐、先程わたくしの元に一佐がお捜しになられていたご友人がご帰宅為さられたという連絡が入ったのです」
「ほう、直也なおやが。やはり生きていたか……」
「はい。それで、これは草加様のご伝言なのですが、『折角だから君も久々に故郷にも戻ったらどうだ』とのことでした」
「それはありがたい話ではありますが、小官は『きりしま』の艦長。艦長がそう易々と艦を離れる訳にはいかんでしょうな」
「今は別に有事ではありませんので、2、3日程艦を離れるのは問題ないでしょう。聞く所によりますと、長い間海上勤務で家に戻っていなかったという話でしたし」
「そうだな……。ではお言葉に甘えておくとするか……」


…第拾弐話完

※後書き

 とりあえず、今回で霧島姉妹関係の話は終わりという感じです。次回からは美凪関係の話が続く予定です。
 しかし、書いた本人が言うのも何ですが、今回はネタの使い回しという感じですね…(苦笑)。まあ、私の小説で行方不明になっている人間は、大概生きている場合が多いと言う事で(笑)。
 それと原作と違い母親に関する話が殆ど語られておりませんが、この辺りは同じネタを使っても原作より良い話にはならないだろうという考えが反映されていますね。原作の大きなテーマの一つは「家族」。ですが、親関係の描かれ方では母親中心に描かれておりますので、私の方は対照的に父親中心で描いているという感じです。そんな訳で、この小説に「萌え」要素が皆無に等しいのはその辺りの描き方が反映されている訳で…(爆)。
 あと、冒頭とラストに名前だけ登場した「草加」なる男ですが、「たいき行」から入った読者に説明しますと、これはオリキャラではありません。このキャラクターはかわぐちかいじ氏の『ジパング』に登場します影の主役と言っても過言ではないキャラクターです。
 原作の舞台は大東亜戦争の真っ只中なのですが、それから60年近く生きているという設定で、「みちのくシリーズ」に作者の趣味(笑)で登場させております。作中の役割としましては、「みちのくシリーズ」におけるシュウ=シラカワ的存在という感じで(爆)。
※平成17年2月11日、改訂

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